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eri☆
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九州のド田舎出身。
2004年2月 ダーリンに連れられて、ふら~っと沖縄上陸!

2007年3月 長男ゴンタ誕生♪
2009年12月 次男チビキ誕生♪

さっさと退散するすもりだったのに、どっぷり「しまないちゃ~」 


2011年4月 佐世保に移動!


 
ガイドブックを片手に北へ南へ疾走中♪
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2006年08月25日

産後うつ

おめでたい時にくら~~~い話になってしまうけれど・・・。


これから妊娠出産を考えている女性にはもちろん、
男性にも知っていてもらいたいこと。


産前産後ウツ

マタニティブルーと言われるやつです。
ご存知ですか?



詳しくは面白いページを見つけたので、こちらをどうぞ。




彼女とあたしは高校3年の時に知り合い、
以後、つかず離れずの関係が続いていた。

特別に気が合う訳ではないのに、
なぜか居心地がよくて、卒業してからもいつも一緒にいた。


宗教的なことは詳しくないし、 あまり好きではないが
「魂が近い」というとしっくりくる。






彼女が亡くなったのは2003年秋。
25才の誕生日を迎えて、しばらくしてからのことでした。


ダンナ様と、生後20日とちょっとの第一子を残して

自らの手で時間を止めてしまった。



彼とは結婚も秒読みで、いつでも結婚できる(したい)状況だったのだが、
二人とも社会に出たばかりだったので、
25か26までキャリアを積んで、それから結婚。
2年は新婚生活を楽しみつつ、会社で産休を取れる状態に持っていきたい。



それが、彼女の人生設計だったのだ。




ちょっとだけ早くオメデタ婚という形になった彼女は、少しだけブルーになった。


何事もきちんとしていた彼女は、「できちゃった」なんて許せなかった。

結納をして、式を挙げて、新婚旅行にいって、新婚さんやって、子供。

これが、彼女の理想とするシアワセで常識的な人生の進め方。



誰にもオメデタと挙式を知らせなかった彼女にはどんな闇があったのか、
いまとなっては想像するしかできないけれど。






あたしの元に、オメデタと結婚の知らせが彼女から届いたのは2003年8月末。

妊娠8ヶ月で、里帰り出産のために帰省してきたときだった。


あたしは結婚を控えていて、ダーリンが正式に結婚の許しを請いに家に来る直前だったり、
結納の日程を決めたりと、忙しい最中だった。





さっそく会いに行ったのだが、

彼女の理想の順番を踏んでいるあたしは、彼女の目にはどう映っただろう。





おなかの赤ちゃんを撫でながらも、
どこかつらそうな表情が今もあたしの目には焼きついてる。



赤ちゃんが生まれてからも
「おっぱいあげるの、下手なんだよね」
「この子、上手に泣けないんだよ」
と、なにやら不安そうな顔。



ほんとうは何かがヘンだと、みんなが気付いていた。



彼女のお母さんも、
「赤ちゃんもママも、最初から何でも上手にできるはずがないよ」



心配しすぎだよ、と気遣う発言を繰り返していたし。




だれもが彼女の闇になんとなく気付いていた。

気付いていたのに、その深さには気付くことができず、
誰も救うことができなかった。



赤ちゃんの1ヶ月検診を3日後に控えた朝。

彼女は逝ってしまった。












Posted by eri☆ at 09:27│Comments(0)
 
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